高知県立美術館 「時の蘇生」柿の木プロジェクトin Kochi 2.日時 平成13年7月20日(金)〜9月16日(日) 午前9時〜午後5時 3.会 場 高知県立美術館 第4展示室 4.入場 無料 5.内容 6.関連企画 1)ワークショップ 「KAKI de ART 柿の木を作ろう」 7.お問合せ 高知県立美術館 学芸課(担当:長山美緒) 上映スケジュール 7.20 - 31 "somewhere : vol. 1" 8.1 - 12 "somewhere : vol.2" 8.14 - 31 "somewhere: Sarajevo" 9.1 - 16 "somewhere: vol. 1 or 2" |
2000年の夏にサラエボ、ボスニアヘルツゴビナを訪れた。サラエボ 私は報道カメラマンではない、しかしそのタイトルを持って国連と書かれた白車に乗り、何がおこっても国連には責任はないという誓約書にサインをし、サラエボ近郊の難民キャンプを訪れた。 サラエボ市内では人にカメラを向けることが苦手な私は朝から晩まで戦争で壊された建物などに向かってシャッターを切り続けた。 友人から地雷があ るかもしれないので舗装されていない場所には立ち入らないように、それから壊された建物などにはまだ爆薬などが仕掛けられているかもしれないので気をつけるように言われた。 私が訪れる2週間前に子供が2人地雷を踏んで亡くなっていた。 戦争中、報道カメラマン達はサラエボの真ん中を流れている川に架かる橋のたもとで一般市民が狙撃されるのを撮影するために待っていたと聞いた。 私にはできないと思ったが、滞在中国連の友人に大量殺戮があった場所へ連れて行ってほしいと頼んでいる自分があった。 あ る夕方、町中で難民キャンプへ連れて行ってくれた国連の人とばったり出会った。その彼が言うのには、この町で一番壊されているものは、建物ではなくここに暮らす人々であると。 経済が破綻し仕事も夢も持てない多くの人々が一杯のコーヒーを飲み朝から晩までカフェで時間をつぶしているのだと。 勇気を持って町行く人々にカメラを向け始めたのがパリに帰る前の晩だった。50年前に作られた二眼レフカメラをだんだん夕暮れが迫ってくるサラエボそこに暮らす人々に向けシャッターを押し始めた。 次の日、荷物を背負いオーストリア大使館の前に列をなしている大勢のビザ申請のための人々の前を通り過ぎた時、自分が自由にサラエボを離れられる幸福と、そしてこの町に残される人々の苦悩を肌で感じながら空港へ向かった。 夜9時過ぎにパリに到着した。けれども荷物はどこかアフリカへ間違えて送られてしまいカメラとパスポートしかない状態になった。 だが、多くの人種が住むパリがとても平和に感じられ荷物のことなどまったく気にならなかった。そして、ふと、もしパリの地下鉄で今日誰かに刺されてもたぶん死なないだろうなと漠然と思った。 |